修正指示は一枚のスプライス・プレート、実際に入ったのは幅の狭い板とフィラ:日航 123 便の後部圧力隔壁は、2 列リベットの接続部のうち 2 ベイ分が 1 列になり、報告書は強度を本来の 70% 程度と推定した

日航 123 便の事故調査報告書が推定した原因の起点は、昭和 53 年の「不適切な修理」です。報告書を読むと、その修理の修正指示そのものは、調査委員会が適切だったと判断しています。隔壁の上下のウェブの合わせ面に一枚の連続したスプライス・プレートをはさみ、接続部を 2 列リベットのまま保つという指示でした。問題は現場で出来上がったものの方で、スプライス・プレートは幅が足りず、フィラが一枚加わり、接続部の一部では上下のウェブが 1 列のリベットだけで結ばれることになりました。報告書は、完成後は接続部の縁がシールで覆われ、この違いを目視で発見することはできなかったと考えています。この記事では、昭和 62 年の事故調査報告書を一つのファスナ継手の報告書として読みます。隔壁の L18 接続部は本来どうつながっていたのか、昭和 53 年になぜスプライス・プレートが必要になったのか、指示と実作業はどの板で違ったのか、1 列と 2 列でどれだけ違うのか、7 回の C 整備でなぜ見つからなかったのか、そして報告書の結論と勧告です。読了まで約 10 分

2 組の薄板の重ね継手試験片を並べた概念図。左は重なり部に 2 列のリベット、右は重なり部が狭く 1 列の赤いリベットだけ。2 列と 1 列の結合を対比するためのもので、事故機の修理形状でも実寸比でもない。

520 人が亡くなった事故で、報告書が推定した起点は一つの接続部だった

運輸省航空事故調査委員会が昭和 62 年 6 月 19 日に公表した報告書によると、昭和 60 年 8 月 12 日、日本航空 123 便(ボーイング式 747SR-100 型、JA8119)は東京から大阪へ向かう途中、18 時 25 分ごろ伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前に異常事態となり、約 30 分間飛行した後、群馬県上野村の山中に墜落しました。 搭乗者 524 名のうち 520 名(乗客 505 名、乗組員 15 名)が死亡し、乗客 4 名が重傷を負いました。

報告書 4.2 の原因は三段になっています。後部圧力隔壁が損壊し、続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統が損壊したこと。隔壁が飛行中に損壊したのは、ウェブ接続部で進展していた疲労亀裂で強度が下がり、客室与圧に耐えられなくなったためであること。 そして疲労亀裂の発生と進展は昭和 53 年の不適切な修理に起因し、隔壁の損壊に至るまで進展したことには、点検整備で発見されなかったことも関与していること。三段とも報告書の推定です。この記事が読むのは三段目、つまりその接続部です。

運輸安全委員会は平成 23 年 7 月に報告書の解説を公表し、急減圧などについてのご遺族の疑問に答え、それまでの説明が十分でなかったことをお詫びするとともに、報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではないと述べています。 解説が推定の根拠として挙げたものの一つが、隔壁の接合部分の「1列リベット(留め鋲)の結合部分」と、そこに発見された多数の疲労亀裂です。当サイトの集計、単位換算、仮の例として明記したものを除き、以下の事故・技術データは昭和 62 年の報告書本文と別添 1 によります。

隔壁の L18 接続部は、本来 2 列リベットだった

後部圧力隔壁は、与圧された客室のいちばん後ろの壁です。報告書 2.15.1.5 によると、端部直径約 4,560 ミリメートルの半球状で、18 枚の扇状ウェブをドーム状に並べ、同心円状の 4 本のストラップ(帯板)、放射状の 36 本の全長型スティフナ(補強材)、その間の短尺型スティフナを鋲打結合しています。 報告書は後方から見て 12 時の位置を 0、反時計回りに L1、L2…、6 時を 36 と呼び、L18 は左側 9 時方向のスティフナで、上下の隔壁のウェブが接続する場所です。ここを L18 接続部と呼び、ストラップで区切られた区域を外周から順にベイ 1〜5 としています。

材料は製造者の規格に適合していました。上側ウェブは厚さ約 0.8 ミリメートルの 2024-T42 クラッド材、下側ウェブは約 0.9 ミリメートル、ストラップは約 1.0 ミリメートルの 2024-T3、リベットは 2017-T3(報告書の記載は BACR15BB・D)です。正規の接続(付図-38(a))では、上側ウェブが下側ウェブに重なって 2 列のリベットで重ね継ぎされ、そのうち 1 列が L18 スティフナとも結合しています。 言い換えると、上下の間の力はふだん 2 列のリベットで分担されます。報告書 3.1.1.3 は事故機の破壊順序の解析で、2 列結合のベイ 1・4 では上側の列の孔縁応力の方が高いとも書いています。一列のファスナが荷重を等しく分担しないことは一列のボルトは荷重を等しく分担しませんで扱いました。ここで問題になるのは列の数そのものです。

昭和 53 年:下半部を交換したら、接続部のエッジ・マージンが足りなかった

この隔壁が修理されたのは、それより前の事故がきっかけです。報告書別添 1 によると、昭和 53 年 6 月 2 日、同じ機体が日航 115 便として大阪国際空港に着陸した際、後部胴体の下部を滑走路に接触させて中破し、乗客 2 名が重傷、23 名が軽傷を負いました。 修理は製造者のボーイング社に委託され、同社から派遣された技術員、検査員を含む 40 数名の AOG 修理チームが、東京国際空港内の日航の格納庫で 6 月 17 日から 7 月 11 日まで作業しました。後部圧力隔壁の作業は 6 月 24 日から 7 月 1 日です。修理計画は、損傷した主要構造部材を新造機と同じ部品に交換し、結合も新造機と同じ方法とする考え方でした。

隔壁の下半部(WL274 より下)は新品に交換されました。新しい下半部をまず胴体に取り付け、次にウェブの端に沿って、上半部の既存のリベット孔に合わせて孔あけをしました。その後、ボーイング社の検査員が、左側の L18 接続部のほぼ全域で、リベット孔回りのエッジ・マージンが構造修理マニュアルの値より不足していることを見つけました。 報告書はその要因として、上半部の既存リベット孔列の不揃い、接合時の上下半部の変形、事故の衝撃による後部胴体の変形、修理のための部材取り外しによる変形、新しい下半部ウェブ上端の寸法不足の五つを挙げ、いずれか又は複数としています。荷重計付きの特別なジャッキで後部胴体を支えていましたが、いくらかの変形が残っていた可能性があるとし、変形等への配慮が「やや不足していたと思われる」と書いています。

指示と実作業は、一枚の板の幅で違った

エッジ・マージンが足りなければ、孔が板の端に近すぎます。別添 1 と本文 3.2.2 によると、ボーイングの修理チームの技術員は、エッジ・マージンの不足するウェブの合わせ面に一枚のスプライス・プレートをはさむという修正処置を指示しました。別添 1 付図-3 の左側がその指示で、スプライス・プレートが既存の 2 列のリベット位置を覆い、さらに 1 インチ(25.4 ミリメートル)下に新しいリベット列を設け、「元と同じリベットと間隔で打鋲せよ」と注記しています。 こうすれば上側ウェブは 2 列でスプライス・プレートにつながり、下側ウェブも 2 列でつながります。報告書はこの指示を適切だったと判断しています。

実際に取り付けられたのは、同じ図の右側の形でした。指示より幅の狭い一枚のスプライス・プレートと一枚のフィラです。スプライス・プレートは上の列まで届かず、そこにはフィラが入りました。その結果、上下のウェブの結合は、左側の第 1 ストラップと第 3 ストラップの間の 2 ベイ分(ベイ 2 と 3)で、本来 2 列リベットであるべきものが実質 1 列になりました。 残骸にもその跡が残っていました(報告書は残骸の計測で孔縁からウェブ端までの最短距離をエッジ・ディスタンスと定義し、下側ウェブの切り取り部付近では 2.9〜4.9 ミリメートルでした)。L18 接続部の下側ウェブ端は、端に沿って約 1,050 ミリメートル、幅約 20 ミリメートルにわたって切り取られ(リベット No.30〜83 の間)、厚さ約 0.9 ミリメートルのアルミ板(フィラ)が挿入されていました。別添 1 によると、このスプライス・プレートとフィラは取り外した旧隔壁から製作されました。

この作業は昭和 53 年 6 月 26 日に行われ、27 日に修理チームの検査員の検査を受けましたが、検査員は指示と異なることを見いだせませんでした。報告書は、この指示と異なる作業が行われたという記録はないとも書いています(ボーイング社が担当した構造修理作業とその検査は FAA Form 337 に記録され、7 月 11 日付で完了が確認されています)。修理後の試験は、7 月 9 日にボーイング社の基準に従って 4 psi の内圧を加える与圧漏れ試験で、圧力低下時間は基準内でした。製造時に加える 12 psi は、FAA の要件にないため行われませんでした。7 月 12 日、同機は航空局の修理改造検査に合格しています。

1 列と 2 列で、どれだけ違うのか

1 列減ると、どれだけ違うのか。報告書は三つの数字を示しています。一つ目は強度で、本来 2 列で結合されるべき部分が 1 列になり、強度は本来の 70 パーセント程度に低下したと推定しています(3.2.2 と 4.1.3.7。本文にはこの 70% の計算過程は示されていません)。 二つ目は亀裂の進展で、3.1.1.1 は最大運用客室差圧 8.9 psi が 1 飛行に 1 回かかるとして有限要素法と応力拡大係数で計算し、1 列リベットの疲労亀裂は 2 列の 2 倍強の速さで進展するとしています。三つ目は回数で、同じ計算条件で、事故機の状態まで亀裂が進展するのに 1 万回強、差圧を 6.9 psi に設定した場合は 3 万回程度と計算されています。

一つ目の仕組みを仮の小さな数字で見ます。ある区間の接続部が伝える力を 100 とし、2 列それぞれ 10 本のリベットなら 1 本あたり平均 5、1 列 10 本だけなら平均 10 で、2 倍です(仮の数字で、平均だけを見ており、実際の分担は均等ではありません)。 報告書の推定が半分ではなく約 7 割であることは、強度がリベットの本数だけで決まるわけではないことを示しています。(この例は平均を示すだけで、事故機の継手の応力解析ではありません。)報告書の解析は、1 列結合となったベイ 2・3 の孔縁応力が高く、疲労亀裂が発生・進展しやすくなったとしています。

残骸と計算は合っていました。2.15.1.5 によると、上側ウェブの疲労亀裂は 1 列結合のベイに集中していました。表-4 の領域 2(リベット No.31〜56)では 25 孔中 21 孔に疲労亀裂があり(84%)、累計長さは 205.55 ミリメートル、孔縁間の長さの 56% でした。表-4 に挙げられた上側ウェブ破面の 126 孔のうち 57 孔に疲労亀裂がありました(当サイトの集計)。 表-5 は疲労損傷の多い一部の孔について、破面のストライエーション(1 回の負荷ごとに残る縞)の間隔からストライエーション数を約 3,200〜13,600 と算出しています。3.2.3.1 はこれらから亀裂の進展に約 1 万回の負荷を要したと推定し、修理後の飛行回数 12,319 回とほぼ一致するとしています。事故直前には約半数のリベット孔縁に亀裂があり、累計約 280 ミリメートルに達していたと推定されています。L18 に沿う上側ウェブ破面の微視的観察では、腐食や材質的欠陥は認められませんでした。 報告書は、2 列結合のベイ 1 と 4 にも影響が及んだと推定しています。3.1.1.3 によると、ベイ 2 と 3 の亀裂進展に伴い、ベイ 1 と 4 でも上側の列の孔縁に疲労亀裂が発生・進展しました。

昭和 60 年 8 月 12 日、高度約 24,000 フィートまで上昇したとき、報告書は飛行高度と手順どおりの与圧設定を仮定し、客室差圧を約 8.66 psi と推定しています。3.1.1.2 によると、有効断面全面降伏の条件の 20% 増で評価すると、亀裂を持つベイ 2 は 6.9〜9.4 psi で破断すると計算され、ベイ 2 が破断した後、荷重はベイ 3、第 2 ストラップ、ベイ 1 と 4 へと順に移り、L18 接続部は全面にわたって上下に分離したと推定されています。

7 回の C 整備で、なぜ見つからなかったのか

報告書は、修理後の早い時期に亀裂が発生し、その後約 7 年間の飛行に伴って進展したと推定しています。その間に点検もありました。3.2.2 によると、機体構造の詳細な整備は主に C 整備(約 3,000 時間ごと)で行われ、昭和 53 年の修理と同時の No.5C を含め、事故までに 7 回行われました。 後部圧力隔壁の作業カードは 10 枚で、腐食を主とした点検や Y コードの点検でした。L18 接続部のようなウェブ接続部は特別な点検箇所に指定されておらず、隔壁後面全体の目視検査(G2 レベル相当)のなかで見られていました。報告書は、747 のウェブ接続部には十分な強度余裕があり、同型機でこの部分に危険な亀裂が見つかった例もなかったためと説明しています。

報告書は、昭和 59 年 12 月の No.11C 整備の時点で、一部の亀裂がリベット孔両側の平均で 10 ミリメートル程度に達していたと推定しています。こうした目視で見つけられたかどうかについては、亀裂の長さ・形状、部位、点検担当者の技術・経験などに左右されるとして、明らかにできなかったとしています。また、修理完了後は接続部の縁がフィレット・シールで覆われ、指示と異なる作業結果を目視で発見することは不可能だったと考えられる、と書いています。 もう一つ手がかりがありました。ウェブの合わせ面にはリベット No.21〜78 に煙草のヤニが散在し、No.41 と No.50 付近の 2 箇所では非与圧側へ吹き出していました。R18 接続部には付着がありません。報告書は L18 の修理結果が関与したと考えていますが、合わせ面のヤニは表面からは見えず、前回の C 整備の時点で吹き出しがあったかどうかは明らかにできなかったとしています。

点検方法についての判断は二つの文に分かれています。隔壁が正規に製作され修理も適正なら、この時点で多数の亀裂が生じるとは考えられず、妥当な点検方法である。しかし今回は、不適切な修理の結果とはいえ、隔壁の損壊に至る亀裂が発見されなかったことは、点検方法に十分とはいえない点があったためと考えられる。

フェール・セーフの前提は、亀裂が 1 ベイの中にある間に発見し修理することだった

1 列のリベットが、なぜ隔壁全体の開口につながったのか。3.2.5.1 によると、この隔壁は「1 ベイ・フェール・セーフ」という概念で設計されていました。ウェブに亀裂が生じても、それが 1 ベイ(スティフナとストラップで囲まれた一区画)の中にある間に発見し修理することを前提とし、1 ベイ全体に亀裂がある状態で最大客室与圧 9.4 psi を受けるとして残留強度を確認しています。いくつかのベイで同時に亀裂が発生・進展する場合は想定していません。

事故機の亀裂は小さく、ウェブの重なったところのリベット孔をつなぐ形で進展していたため、目視や空気漏れでは発見しにくく、1 ベイの中にあるうちに見つけるという前提が崩れたと報告書は考えています。開口の大きさも設計を超えました。尾部のプレッシャ・リリーフ・ドアの開口面積は約 0.49 平方メートルで、隔壁の 1 ベイ全体(最大約 0.14 平方メートル)の開口を前提にしていましたが、事故時の隔壁の開口は 2〜3 平方メートル程度と推定されています。 複数箇所の疲労亀裂でフェール・セーフの前提が崩れたことは、アロハ航空 243 便の報告書を読んだときにも出てきました(周方向の荷重は本来リベットを通らなかった)。両事故を並べるのは当サイトの考察で、原因も破壊の経過も異なります。

報告書の結論と勧告、そしてファスナの側から持ち帰れること

3.2.2 の修理についての評価は三つにまとめられます。ボーイング社への委託は妥当、全体計画はほぼ妥当。修正指示は適切。実作業は指示と異なり不適切で、作業工程における検査を含む作業管理方法の一部に適切さを欠く点があったと考えられる。巻頭の「勧告第 1 号」の第 1 項・第 2 項は修理に関するもので、運輸大臣に対し、製造工場以外で主要構造部材の変更等の大規模修理を行う場合は、修理作業の計画と作業管理を特に慎重に行うよう指導すること、そうした修理が行われた航空機の使用者には、必要に応じその部位に特別の点検項目を設けて継続監視するよう指導することを求めています(第 3 項は与圧構造部位の損壊後の周辺構造のフェール・セーフ性に関する規定です)。

以下は当サイトが報告書から読み取った、一般的な継手の変更文書に当てはまるやり方で、報告書の勧告ではありません。私たちが継手の変更を管理するなら、こうします。各板の寸法、重なり範囲、各列のファスナがどの部材を結ぶかを図面上で明確にします。 現場で板やフィラの配置を変える場合は、各列がどの部材を結び、所定の荷重伝達経路を維持しているかを確認し、記録します(起票されなかった記録がどうなるかはアラスカ航空 1282 便の記事で読みました)。シール材やほかの部材で覆われる継手は、覆う前に検査し、写真を残します。

冒頭の「不適切な修理」に戻ると、報告書が書いたのは、一枚の板の幅が上下のウェブの結合を 2 列から 1 列にし、完成後は接続部の縁がシールで覆われて、目視ではその違いを識別できなかったということでした。この記事の事故の経過、寸法、強度、亀裂、点検の数字は昭和 62 年の報告書本文と別添 1 によります。亀裂のある孔の合計、「2 列それぞれ 10 本」の例は当サイトの集計または仮の数字です。

この記事は六つの手順のどれか一つには収まりません。手順をまたいで出てくるか、組み付けたあとに出てくる話です。ここに行き着く判断がどこで下されているかはねじの決め方にまとめてあります。

よくある質問

日航 123 便の修理は何が間違っていたのですか。

昭和 62 年の事故調査報告書によると、昭和 53 年に後部圧力隔壁の下半部を交換した際、上下の接続部でエッジ・マージンが不足し、ボーイングの修理チームは一枚のスプライス・プレートをはさみ、2 列のリベットを保ったうえで 1 インチ下に新しい列を打つよう指示しました。実際に入ったのは指示より幅の狭いスプライス・プレートとフィラで、左側 L18 接続部の第 1 から第 3 ストラップの間の 2 ベイ分が、本来 2 列のところ 1 列の結合になりました。報告書は指示は適切、実作業は不適切とし、この指示と異なる作業の記録はないとしています。

2 列のリベットが 1 列になると、強度はどれだけ下がりますか。

報告書はこの部分の強度を本来の 70 パーセント程度と推定しています。また 1 飛行に 1 回 8.9 psi の差圧がかかると仮定した有限要素法と応力拡大係数による計算で、1 列リベットの疲労亀裂は 2 列の 2 倍強の速さで進展し、事故時の状態まで 1 万回強の負荷が必要としており、修理後の飛行回数 12,319 回とほぼ一致します。本文には 70% の計算過程は示されていません。

7 年間の整備で、なぜ亀裂が見つからなかったのですか。

昭和 53 年の修理と同時に行われた No.5C を含め、事故までに C 整備(約 3,000 時間ごと)が計 7 回行われました。L18 接続部のようなウェブ接続部は特別な点検箇所に指定されておらず、隔壁全体の目視の中で見られていました。修理完了後は接続部の縁がフィレット・シールで覆われ、指示と異なる施工結果は目視で発見できなかったと考えられています。昭和 59 年 12 月時点で一部の亀裂は孔の両側平均で約 10 ミリメートルと推定されていますが、目視で見つけられたかは明らかにできなかったとしています。

「1 ベイ・フェール・セーフ」とは何ですか。

報告書 3.2.5.1 によると、後部圧力隔壁はウェブに亀裂が生じても、それが 1 ベイ(スティフナとストラップで囲まれた一区画)の中にある間に発見し修理することを前提に設計され、1 ベイ全体に亀裂がある状態で残留強度を確認していました。複数のベイで同時に亀裂が進む場合は想定しておらず、事故機では亀裂が重なり部分の孔列をつないで進んだため、この前提が崩れました。

事故原因への疑問に、運輸安全委員会はどう答えましたか。

運輸安全委員会は平成 23 年 7 月に報告書の解説を公表し、急減圧などについてのご遺族の疑問に答えるとともに、報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではないと述べています。解説が挙げる根拠の一つが、隔壁の 1 列リベットの結合部分と、そこに見つかった多数の疲労亀裂です。この記事は報告書本文、別添 1、この解説だけに基づいています。

参考資料

事故の経過、構造と材料、残骸の調査、亀裂と残留強度の試験研究、修理作業、整備とフェール・セーフ性の解析、原因と勧告は、報告書の 1.1、2.2、2.7.1、2.15.1.5、2.16.4、3.1.1、3.2.2、3.2.3.1、3.2.5、4.1.3、4.2、巻頭の勧告、別添 1(付図-3「修正指示と実際の継ぎ方」を含む)によります。付図と別添 1 は PDF では画像で、当サイトがページから読み取りました。亀裂のある孔の合計(57/126)と「2 列それぞれ 10 本」の例は当サイトの集計または仮の数字です。「ファスナの側から持ち帰れること」は当サイトの読みで、報告書の勧告ではありません。

お問い合わせ

修理や設計変更で、締結部品の交換やシム・フィラの追加・削除を行う場合は、お見積りの際に元の設計と変更後の継手図(板厚、穴位置、列数、縁端距離)を添えてください。供給条件を個別に確認するための情報になります。継手の強度と修理方法は、お客様の設計部門と耐空性(または品質保証)の責任部門が適用規準に基づいて決める必要があります。

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